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嘉穂益富城自然公園・大隈城跡(益富城跡)

大隈城跡(益富城跡)

豊臣秀吉にまつわる一夜城伝説が残る大隈城跡(益富城跡)。戦国時代の曲輪群や畝状竪堀群が良好に残り、山頂には石垣跡や桝形虎口など、近世城郭の面影も見ることができることから、令和5年に福岡県指定史跡となりました。現在は、森林浴や野外観察、歴史探訪などができる自然公園として整備されており、春には桜、秋には紅葉も楽しめる憩いの場として親しまれています。

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≫ 【一夜で出現した秀吉の城】嘉麻の一夜城伝説

天正15年(1587年)、九州平定を目指す豊臣秀吉は堅城と言われた岩石城を1日で攻略。それを知った秋月種実は、益富城を捨て、本拠地の古処山城に撤退します。その晩、秀吉は郡内一帯にかがり火を焚かせ、山頂からは白米を流し滝のように見せ、住民たちから集めた戸板で、一夜にして「張りぼての城壁」を築きました。これを見た秋月氏は戦意を喪失し、戦わずして降伏したという伝説が残っています。また一夜城建築に協力した大隈町へ秀吉が与えたという「華文刺縫陣羽織」は国指定重要文化財となっています。(※現在非公開)
黒田氏の筑前入国後は、黒田六端城の1つとなり、後藤又兵衛が城主になりました。その後は黒田節で知られる母里太兵衛が城主となりますが、元和元年(1615)の一国一城令により、廃城となりました。

嘉穂益富城自然公園・大隈城跡(益富城跡)

所在地:嘉麻市中益

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