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不知火光五郎の墓

相撲の不知火型土俵入りを生んだとされる不知火光五郎は、明治時代の初め頃に活躍した横綱です。
弘化4年(1847)、下山田の佐藤利平の次男として弘化4年(1847年)に生まれました。光五郎の怪力は幼い頃から有名で、梅ヶ谷藤太郎(後の第15代横綱)に見初められ、相撲界に入りました。「山田川」、「山響」と名を変え、明治4年(1871年)に入幕を果たし、明治9年(1876年)には大関となりました。明治14年(1881年)、大阪相撲協会では、光五郎の活躍を賞して、家元の五条家より横綱の免許が与えられ、この時「不知火光右衛門」と名を改めています。明治15年(1882)の東京大阪合併相撲開催の折に、35歳で急死しました。
墓石は生家の側にあったものが、後に日吉神社境内に移され、さらに昭和45年、安国寺境内へと移されました。平成5年には、個人によって不知火光五郎の新墓石と顕彰碑が同境内に建立されています。

こちらもご覧ください ≫ 【郷土が生んだ天下無双の横綱】不知火光五郎

不知火光五郎の墓

所在地:嘉麻市下山田290-1

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