
九州の茶の湯文化を育んだ高取焼は、黒田長政の命によって渡来した陶工、八山が開祖とされています。黒田長政の没後、高取八山父子は2代藩主である忠之に朝鮮への帰国を願い出たところ、藩主の怒りにふれ、家禄を没収されたうえ、現在の嘉麻市上山田の奥地に“山流し”に処されたといいます。ここでは日常の雑器やわずかな茶碗を製作して生活していたようです。
「古高取」とは直方市の永満寺宅間窯、内ヶ磯窯と嘉麻市の山田窯までのものを指します。その中で唯一、御用窯ではない山田窯については、窯跡付近に所在地を示す石碑が建てられているのみで詳しいことが分かっていません。
昭和43年、山田窯時代の目付役であった大庭源太夫の墓を整備した際に発見された二点の茶碗が発見されました。これらは山田窯で製作されたものであろうと推察され、平成5年(1993)に市指定文化財となりました。
2つの茶椀には藁灰釉がたっぷりと掛けられ、技巧を凝らさず素朴な形をしており、高取焼開窯の宅間窯の作風に近いといわれています。これらは数少ない山田窯の作風を伝える資料として大変貴重なものです。現在、嘉麻市立山田図書館に常設展示されています。
古高取抹茶碗
所在地:嘉麻市上山田1347-10(市立山田図書館)
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